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昭和53年、当時、県野球協会会長で旧神岡町出身の 高橋政泰氏(当時59歳 東北肥料株式会社取締役 故人)が 昭和5年神宮寺小学校尋常科が全県準優勝した時の同級生に呼びかけ、 神宮寺嶽の麓、中川原球場にて紅白試合を行ったことが、全県500歳野球のキッカケとなりました。 翌54年、同町と周辺の6チームで大会(今も大仙市で行なわれている郡市500歳野球大会) を実施したところ、大きな反響を呼び、同年10月、秋田魁新報社が主催となり、 少年野球発祥の地と言われる旧神岡町の主管で8チームによる第1回全県500歳野球大会が開催されました。 ナインの合計年齢が500歳・学童サイズで5回戦・引き分けの場合はジャンケンという、 ユニークなこの大会の参加チームは年々膨れ上がり、 第12回大会で51チーム、第18回大会で104チームに、 そして現在(平成19年第29回大会)では167チームおよそ4000人が参加するまでになりました。 全国にその名を轟かせる大きな大きな大会となったのです。 |
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